畿内逆五芒星の謎

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ここでご紹介する畿内逆五芒星(きだいぎゃくごぼうせい)とは、近年ネットなどで度々話題になる奈良の平城京を取り囲む巨大な五芒星です。
これは、古事記や日本書紀に記載されている神社と聖地を結んだ五芒星の中心が奈良の平城京になることから、これらの神社が平城京を取り囲むように意図的に配置されたのではないかという仮説です。また、元伊勢と伊吹山を結ぶ東西の直線は、西は出雲大社、東は富士山につながることも知られています。
もちろん、古い遺跡や神社はこのほかにもたくさんあるので偶然の一致かも知れませんが、なかなか興味深いですね。

 

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伊勢神宮:
正式名は「神宮」、言うまでもなく社号として神宮号を名乗る神社の中でも別格中の別格と言える存在で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る皇大神宮(内宮:ないくう)と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮:げくう)があります。
天照大御神は、太陽が神格化した神様であって、その両親は、日本(大八島)を作ったとされるイザナキとイザナミ、その兄弟は、ツクヨミ(月の神様)とスサノオです。

 

熊野本宮大社:
家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ=スサノオ)を主祭神とする神社です。つまり、伊勢神宮の天照大御神の弟にあたります。暴れん坊のスサノオは、高天原(たかあまのはら=神様の世界)を追放された後、8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を退治して天叢雲剣※2(あめのむらくものつるぎ)を手に入れた伝説で広く知られていますね。

 

伊弉諾神宮:
その名の通り祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の2柱です。日本神話の国産み・神産みに登場し、国産み・神産みを終えたイザナギが、最初に産んだ淡路島多賀の地に鎮まったとあり、伊弉諾神宮の起源とされています。
イザナミは、神産みの半ばで火の神「カグツチ」を産んだ時の火傷がもとで死んでしまい※1、後に黄泉国(よみのくに:死者の世界)の黄泉津大神(ヨモツオオカミ)となります。

 

元伊勢 外宮豊受大神社:
元伊勢(もといせ)とは、神宮が、現在の伊勢神宮の地に遷る以前に祀られたという伝承を持つ神社のことです。京都府福知山市にある豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)が、その伝承地のひとつとして知られていて、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも言われています。

 

伊吹山:
神社はありませんが、記紀にも記載があることから、かなり古くから聖地として知られていたと考えられます。第12代景行天皇の息子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、東国平定の際に白い大猪に姿を変えた伊吹山の神(荒神)と戦います。
この時は、草薙剣※2(くさなぎのつるぎ)を婚約者で尾張の美夜受比売(みやずひめ)に預けてきたために素手で戦いますが、この時の痛手がもとでヤマトタケルは亡くなります。

 

補足:
※1:日本の神話で初めて死んだとされるのがイザナミですが、そもそも神様には寿命が無いという考えでした。なお、古事記・日本書紀などでは、神武天皇即位を境に神代(かみよ)、人代(ひとよ)を分けています。神代の終わりごろ、日向に降臨した天照大神の孫・ニニギノミコトにオオヤマツミが2人姉妹の娘、コノハナノサクヤビメとイワナガヒメを差し出しますが、ニニギが美人のコノハナノサクヤだけを選んだために父の怒りを買い、その子孫の寿命が永遠ではなくなったのだそうです。
※2:この草薙剣(くさなぎのつるぎ)というのは、スサノオがヤマタノオロチを退治して手に入れた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同一の剣と言われています。景行天皇の時代に伊勢国のヤマトヒメから、東国の制圧(東征)へ向かうヤマトタケルに渡されました。ある時、敵の放った野火に囲まれた窮地に剣で草を刈り払い脱出したことから草薙剣と改名したものです。現在は、天皇家の三種の神器の一つとして名古屋市の熱田神宮に祀られています。

 

ところで、古代このような大規模な測量が行われていたことは信じがたいことかも知れません。しかし、世界各国で、「太陽の道(レイライン)」と言われる意図的に直線的に並ぶよう建造された古代の遺跡群が多数見つかっていて、日本でも写真家の小川光三氏が発見した大神神社を中心とした北緯34度32分の東西に走る直線が有名です。奈良の中北部の辺りから見ると朝日は三輪山の方向から昇り、夕日は二上山の方向に沈みますが、大神神社のご神体である三輪山から真東に直線を伸ばすと伊勢斎宮跡を経て伊勢湾の入口に浮かぶ神島にたどり着きます。その直線上には、古代の祭祀遺跡、お寺や神社(長谷寺や室生寺のほか、小さな神社も多数)が並んでいます。
一方、直線を西に伸ばすと二上山、大鳥大社を経て、淡路島の伊勢の森・伊勢久留麻神社に至ると言われます。
大阪府の堺市には、高度な測量技術を持っていたと言われる集団「日置氏」にちなむ「日置荘」(もと興福寺の荘園)の地名もこの直線上に残っています。

 

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地球は丸い※3ので平面上に描いた地図とは距離や方角が変わる筈という意見もありますが、地面が曲面を描いていることは、初歩的な測量技術でもわかることなので、織り込み済みだったのかもしれません。また、五芒星の五角形の各辺が約111km(地球1周4万km÷360度=約111km)となっていることも不思議な一致です。(ただし、円周を360度とするのは後世の西洋の考えで、古来東洋では、地球の公転周期を自転周期で割った約365.24…を使っていたのではないかと思われます。)
※3:地球が丸いことが実証されたのは大航海時代ですが、地球球体説(大地球体説)は紀元前からあり、古代中国の天文学でも宇宙は卵の殻のようなもので、大地は卵の黄身の様なものと言う考え方がありました。
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