追憶・奈良ドリームランド

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既に跡地の建物や遊具も撤去されて、あまり語ることもないと思っていた「奈良ドリームランド」ですが、相変わらず本サイトの該当ページへのアクセスも多いので、あらためて振り返ってみたいと思います。

奈良ドリームランドが開園したのはロサンゼルス(アナハイム)に最初のディズニーランドができた1955年からわずか6年後の1961年でした。松尾國三氏(のちの日本ドリーム観光代表)が開園当時のディズニーランドに感激し、ウォルト・ディズニーに直接面会し日本に誘致しようとした事が始まりだと言われています。

経緯について記載されているサイトは多くありますが、ここで勘違いしてはいけないのは、50年以上前の出来事を現在の感覚で見ていないかという点です。今でこそ、著作権、商標権などの知的財産権が重視されていますが、当時は先進国の間でも今ほどは重視されていなかったはずです。ましてや終戦から十数年経過しているとは言え、日本では有名キャラクターを真似た類似商品なんかが店頭に並んでいましたし、真似をすることが悪いことと言う感覚もあまり無かったと思われます。実際、ドリームランド以外の遊園地にもディズニーランドのアトラクションを真似たものは沢山ありました。
普通なら勝手に偽ディズニーランドを作ってしまいそうな時代背景の中で、前述の松尾氏は、米国に乗り込んで交渉するという形で筋を通そうとしたようです。また、ドリームランドに設置された乗り物の類は、決して粗悪なものではなく、どれも本物の鉄道やモノレール、ロープウェイなどに匹敵する本格的なもの(と言うよりは本物)ばかりでした。米国側は、一人の資産家がそこまで本格的なものを作れるとは信じていなかったので相手にしなかったのでしょうが、きちんと主旨が伝わっていたらもっと方向が変わっていたことでしょうね。

もうひとつ、ホスピタリティの高さでテーマパークが神格化されたのは、TDLができてからと言っても過言ではないと思います。確かに色々なノウハウが米国から導入されたのでしょうが、それが日本人特有の「おもてなし」と融合することで現在のレベルに達したと言えるでしょう。米国のテーマパークは、規模は大きいものの「おもてなし」のレベルは、わりと普通です。(^^)

何が言いたいかと言うと、「当時、本家のディズニーランドは(現在のTDLのように)立派で、それに比べて奈良ドリームランドは似ても似つかないいいかげんな偽物だった。」なんてことはなくて、むしろ当時としては、規模、質ともに格段に高いレベルの遊園地として仕上がっていた、ということです。


上の写真は、奈良ドリームランドのメインゲート前にあった外周列車の駅舎をLA(ロサンゼルス)ディズニーランドの駅舎と比較したものです。これを見ると駅舎の建つ土手の高さが奈良の方がかなり高くて駅舎も立派に見えます。(この辺りは、鉄道では米国に負けないというこだわりなのか?)
写真はありませんが、この反対側には一般道から車が入ってくるメインストリートの延長道路があって、巨大遊園地にふさわしい立派なエントランスでした。列車は、軽便鉄道にそのまま使えるサイズの本物で、土手の上の線路部分は、現在は普通の車道(1枚目の写真)になっています。


こちらはメインストリートから見えるお城です。TDLと比べると小さいですが、LAのお城(シンデレラ城ではなく眠れる森の美女のお城)もそんなに大きくはありません。奈良の方は塔の数が少なくて、造りも単調な感じでした。こういうコンクリート製の複雑な構造物は苦手だったのかも知れません。


奈良に住んでいた人なら馴染みのあった雪山(マッターホルン?)です。ボブスレーと言うジェットコースターが駆け抜けて、本物のロープウエイが頂上付近を突き抜けていました。LAにも、おそらく開園当時はロープウェイがあったのだと思います。
形がいびつで骨組みの上にトタン板?のようなものを張ってあるように見えますが、50年近く風雨に耐えたのだから驚きです。外観をそれっぽく見せかける技術のノウハウは無くても、中身はちゃんと作っていたという事なんでしょう。
この下辺りには、本家(現在はファインディングニモのアトラクションとして再利用)と同様に潜水艦のアトラクションもありましたが、ある時期に埋め立てられてしまいました。


そして、こちらも人気の高かったジャングル巡行船(ジャングルクルーズ)です。ボートは本物だし、滝やトンネルのスケールもハンパなかったです。ただ、機械仕掛けの動物は本家に比べると全然リアルじゃありませんでした。柱状節理?の崖を表現した岩肌が、どう見ても左官屋さんがコテで仕上げたコンクリートの表面としか見えませんでしたよ。(^^)


そして、一番凄いのがモノレールです。遊園地の乗り物と言うよりは、当時は実用の試作と言う側面が大きかったようです。LAのものの方がかなり立派に見えますが、どちらも開園当初のものでは無く、後の時代の改良型です。少なくとも奈良のモノレールは国産技術の最先端を行くモノレールの先駆けであったことは間違いないでしょう。この後に松尾氏が手掛けた(チボリ公園を参考にした)横浜ドリームランドでは、短期間でしたが駅と遊園地を結ぶモノレールを実現しています。奈良のモノレールも奈良駅とドリームランドを結ぶくらいの構想は当初からあったのかも知れませんね。(^^)

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