どうした家康!

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今回は奈良を飛び出して、奈良県とも縁の深い※旧堺市内へ…
旧堺市内へは、JR天王寺駅または新今宮駅から阪堺電車(上の写真の左)を利用するのが便利です。目指す南宗寺の最寄り駅は、御陵前ですが北門から入りたいので一つ手前の寺地町で下車しました。
上の写真の右はその途中にある堺名物「くるみ餅」の老舗「かん袋」です。「くるみ餅」と言っても胡桃が入っているわけでなく「包(くる)む」から来ています。原材料は畔豆かな? 「かん袋」は、豊臣秀吉が名付けたんだそうです。
※日本書紀に奈良と堺が日本最古の国道「竹内街道・横大路(大道)」で結ばれていたことが記載されています。また、奈良県全体が堺県に併合されていた時代もありました。


さてこちらが目的地の南宗寺(北入口)です。
もともと堺繁栄の礎を築いた三好氏ゆかりのお寺なので三好一族のお墓があります。三好家は、大和の戦国大名、松永久秀に乗っ取られたとされているので奈良とも深い因縁がありますね。
また、境内には千利休一門の供養塔もあり、その横には、吉野出身と言われる武野紹鷗の墓もあります。こちらも珠光、紹鷗、利休と茶道の歴史で奈良とつながります。

ところで、数年前(大河ドラマ「真田丸」放映の頃)から山内が撮影禁止になっているので、ここからはイラストで解説します。(^^;)


こちらが、徳川家康の墓と伝承されているものです。
寺伝によれば、大坂夏の陣のおり、真田幸村に追い詰められて、逃亡を図った家康の籠が後藤又兵衛の槍で一突きされたとのこと。そのまま南宗寺まで逃れてきたものの籠の中で家康は絶命していたと言う所謂「歴史ミステリー」です。この話が、又兵衛が生き残って大宇陀本郷(又兵衛桜のあることろ)で余生を送ったと言う逸話にもつながっています。これが事実なら徳川家康の死後11か月間、誰かが影武者を務めたことになりますが、この影武者についても諸説あって面白いですよ。


こちらが、徳川家康の乗っていた籠(実物は日光東照宮に現存)ですが、屋根に開いている穴がその槍の跡だとか…


こちらは、古いお墓の直ぐ近くの東照宮跡にある新しい立派な徳川家康のお墓です。墓石の裏には、三木啓次郎とともに松下幸之助の名前も列挙されています。これは、幸之助が若いころに啓次郎(三木家は、水戸藩士)に経済的に支援してもらった恩義に応えたものだそうです。お二人の名前は浅草の雷門や四天王寺の極楽門にも刻まれ、松下電器(パナソニック)が長らくTVドラマ「水戸黄門」のスポンサーをしていたのもそのご縁なんだそうです。

南宗寺をはじめ、堺の主要観光スポットには、ボランティアガイドが待機しておられるので、上述のような興味深いお話を聞くことができます。松本 潤さん主演の2023大河ドラマ「どうする家康」も予定されているので、興味のある方は是非行ってみてください。

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